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クソDDジャニヲタ

Hey! Say! JUMP 10周年と私のはなし

2017年11月14日にHey! Say! JUMPが10周年を迎えたので、ここにHey! Say! JUMPとの私の記録を残しておきます。

 

私がHey! Say! JUMPのファンである期間は2008年夏頃まで、そして今年初めに出戻りをしたのでトータルすると約2年ととても短い期間です。結成された当時私は*1Hey! Say! JUMPのメンバーがもともと所属していたグループが好きでした。そのため、結成、デビューを素直に喜べなかった事を覚えています。当時のJr.担の多くが「Ya-Ya-yahはどうなるの?!」かとざわざわしていた*2と思いますが、そのような気持ちを持ちながらデビュー魂へ参戦するかどうかを凄く悩みました。しかし、同じ気持ちを持つ八乙女担と山田担に「これからどうなるかは分からないけど、今デビューが決まった彼らを応援しないと残された彼らはもっとどうなるか分からないよ…!」と言われ、名古屋から夜行バスに乗り、東京ドームに立つ小さくて幼い彼らを観に行きました。*3Hey! Say! JUMPやJr.の未来は何も分からないけれど、とてもきらきらと輝いていました。

 

その後結局、私はHey! Say! JUMPよりも昔のグループが好きで何故解体されなければならなかったのかと考えてしまい、2008年のSUMMARYを最後にHey! Say! JUMPの現場を離れました。ですがやはり、気になる存在ではあった為に『瞳のスクリーン』(2010年2月24日発売)までは出戻りする前でCDを購入していないのに、フルで歌えました。

 

2011年6月27日、ずっと気になる存在であったHey! Say! JUMPに今後ファンに戻ることはないだろうと思う事が起こりました。龍太郎の未成年喫煙が報じられ、無期限の活動休止処分の発表。当時私は他のグループを応援していましたが、龍太郎はJr.の頃から好きでHey! Say! JUMPでは一番に応援していました。そのため、「戻って来て欲しい」と思いはしましたが、YJ育ち*4の私にはそれがとても難しい事なのも知っていたのです。Hey! Say! JUMPの他のメンバーも応援はしていましたが、一番応援していたメンバーがいなくなったグループを応援する辛さはA担だった時に経験をしていて、乗り越えられなかった私には出来ないと思い、Hey! Say! JUMPのファンには戻れないと思ったのです。

 

そこからのHey! Say! JUMPについては私はあまり詳しく知りませんので書けません。

 

そして最後に、Hey! Say! JUMPのファンに戻ることはないと思っていた私が、今年に入り出戻ったはなしを少しします。今Hey! Say! JUMPで一番に応援しているメンバーは中島裕翔くんです。彼を気になった最初のきっかけは関ジャニ∞横山裕くんが出演するため観始めたドラマ『水球ヤンキース』(2014年7月-9月)です。そこで久しぶりにちゃんと見た中島裕翔くんは、小さくて可愛い弟だと思っていたのに、高身長に甘いマスクなイケメンに成長しており、心をどきどきさせてきたのです。ですが頑固な私は、Hey! Say! JUMPには絶対に戻らない!9人のHey! Say! JUMPはファンとして応援できない!と中島裕翔くんに惹かれる気持ちに蓋をし、ジャニヲタの日々を過ごしていました。でも、流石ジャニーズ!Hey! Say! JUMPの10周年YEAR!他グループ目当てで見ていた2016年末の特大音楽番組を一緒に見ていた友人に「10年経ってもメンバー全員がこんなにも美しくアイドルのまま成長する事ある?!変な髪形もゴリゴリのマッチョもいないよ!?」と言われ、ヘドバン*5の如く頷き、年明け直ぐにFCに入会しました。

 

アリーナ公演、イベントは落選したので出戻りしてから初の現場は来月のナゴヤドームです。ここ数年、この時期のナゴヤドーム関ジャニ∞と楽しく過ごしてきていたので、10周年のHey! Say! JUMPと過ごせることが楽しみで仕方ありません!

 

Hey! Say! JUMP 本当に10周年おめでとうございます!

*1:今よりも軽いDDであった

*2:NEWS結成を思い出した

*3:ジャニヲタ人生初遠征

*4:NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの3組

*5:ヘッドバンキングの略。リズムに合わせ頭を激しく上下に振る動作